老子の書は実は裏の意味があるという内容。
老子を読んだことがないけど、ミステリーのようなスピリチュアルのような感じで面白かった。
作者は中国の秘境、老子の教え守りながら生きる村を訪れる。
そこで老子の書には裏の意味があると教えられる。
文明から切り離された彼らの生活は驚くことばかり。
そこには現代社会が失った理想郷があった。
本の説明には性の秘儀とあり、たしかに性について書いてあるが、私たちが想像するような内容ではなく、私たちが性欲から得られる幸せを超える幸せがあると言っている。
作者の不思議体験を語った本だが、読むと内容なのか文章なのか、不思議と癒し効果がある。
メモ:
・このような世界的に知られる「老子」の解釈が、彼の言う「道」を決して語り尽くしてはいないことをM老人との出会いによって知ったからだ。
・彼の言う「Tao」は、実は、性(性行為)を意味する暗号語なのだ。
・性欲に縛られながら、愛を求めてあなた方は生きている。心のどこかで常にそれを求めながら、満たされることなく時と場というものに縛られながら生きている。つまり、あなた方は自由ではないと、そう老子は指摘しているのだ
・当時の中国の書物には数多く借字が使われていた。これを老子は意図的に応用し、その哲学的意味の裏に秘教的意味を隠したのだ!
・しかし、一般の意味における老子の「道」は、「人間本来の無為自然の生き方」のはずである。
・表向きの意味では、「道可道非常道」すなわち「道は語ることはできない」と言っておきながら、老子は道について老子書で語ってしまうという矛盾が生ずる。
・老子は、詩文対句表現のさらにその中に借字による暗号対句表現を重ねるという、相対陰陽によって一つの概念を伝えようとしているのだ。
・老子は女性性の信奉者だ。しかし、彼は、男はダメで女はイイと言っているわけではない。天地の陰陽原理を、わかりやすく、人間の世界に置きかえて語っているのである。
・誰もが希求する愛というものの究極、それは大道、すなわち万物を生み出す至福の波動領域だ。その正体がわからずに人々は刹那の愛を求め続ける。
・「その社会の人々の性のあり方で、その社会がどんな社会なのかがすべてわかる」
・性の意識が 歪めば歪むほど、抑圧されればされるほど、その求引力は強くなる。 性におおらかな社会では、人はそれを無闇に求めなくなる。そうなったら、産業という産業は停滞してしまうだろう。
・少々体が不調になった時点で、先のヤーマで、あるいは薬草を用いて彼らは自身の体を正常にもどしてしまう。
・幸福とは、何かを手に入れなければ得られないものではなく、むしろ、何かを手に入れようと思うことそれ自体が幸福からはずれた生き方である証拠なのだと、この時以来私はわかるようになっ
・文明社会の宗教で語られる煩悩の超越や悟りなどといった言葉も、この体験以後、そのテーマ設定自体があまりにも人為的に感じられ、自尊心を感じさせる響きに感じられてならなくなった。
・先にふれたあの体験の後、今までどうにもならなかった問題が一挙に解決したことだ。
・文明人の物質欲は愛の代償だ。人間の心には、精神の世界と物質の世界を混同してしまう性質がある。
・現代文明が直面しているあらゆる問題は、すべてこの「欲」をクリアーすれば解決できるものばかりだ。
・私たちは働かなければ人間は生きていけないものと思い込んでいるが、これは私たちの文明社会がそうなのであって、私たちは元々、働くための存在ではなかったことが、未開の人々と接すると確信できる。
・人類には個人の記憶を超えた、誰もが共有にもつ、人類としての共有記憶のようなものがある。この記憶にふれる時、私たちは自分の記憶では説明のつかない懐かしさを感じる。
・その記憶を蘇らせるものは、空間なのである。
・この深みへの扉を開くものこそ、古代人にとっての体であり、全身で発動させる舞であった。